最終更新は2024年10月20日です。
今年は、陸軍病院南風原壕の本格的な調査から30年。あらためて壕の未来を考えるシンポジウムが7月と8月に南風原町立中央公民館で開催されました。
第1回シンポジウム「沖縄陸軍病院南風原壕のこれから」
7月14日(日)14時~16時。
登壇されたのは、吉浜忍さん(元沖縄国際大学教授)、池田榮史さん(國學院大學教授)、池田恵美子さん(NPO安房文化遺産フォーラム共同代表)、久貝弥嗣さん(宮古島市教育委員会)、井出佳代子さん(南風原平和ガイドの会会長)、保久盛陽さん(南風原文化センター)。
第2回シンポジウム「戦争遺跡から平和につなげる」
登壇されるのは、北上田源さん(琉球大学准教授)、米須清貴さん(南城市立馬天小学校教諭)、屋良真弓さん(南風原小学校教諭)、仲里安広さん(首里高校教諭)、喜名大作さん(元中城村教育委員会)、井出佳代子さん(南風原平和ガイドの会会長)。
また、関連企画展と文化講座も企画されます。
企画展「戦争遺跡を語り部にするために」 6月13日~8月31日(9時~18時 水曜休館)
南風原文化センター企画ホール(入場無料)で、毎年戦争と平和について考える企画展が開催されていますが、今年は沖縄陸軍病院南風原壕と県内外の戦争遺跡の取り組みに焦点を当てた展示をされています。
文化講座「戦争遺跡の発掘調査成果」 8月4日(日)14時~16時
南風原文化センター企画ホール(入場無料)で、保久盛陽さん(南風原文化センター)、仲程勝哉さん(沖縄県平和祈念資料館)、玉城綾さん(沖縄県教育庁文化財課)、仁王浩司さん(浦添市教育委員会文化課)、玉城佳奈さん(南風原文化センター)、山道峻さん(那覇市市民文化部文化財課)が登壇されました。
沖縄の玉城知事が3月16日に松代大本営・象山地下壕を1時間見学されました。
沖縄県は首里城地下にある第32軍司令部壕の保存と一部公開に向けた調査を進めているそうで、玉城知事も「戦争の実相と教訓を次世代に継承することは、私たちの重要な責任の一つ」と述べられ、第32軍司令部壕がどのように保存・公は開されるのか楽しみです。
下の新聞記事は、左と中央が沖縄の村上有慶さん(前・共同代表)から頂いた琉球新報、右が戦跡ネット・幅事務局長から頂いた信濃毎日新聞です。
沖縄の村上さん(戦跡ネット前共同代表)からの情報です。
琉球新報と信濃毎日新聞が共同で戦後77年の企画をされました。
それを受けて、琉球新報が22年8月15日に「首里・第32軍司令部壕と長野・松代大本営地下壕」というかなりの紙面を使って掲載しました。
そして8月19日からは3回シリーズで「戦跡で継ぐ記憶」を掲載しています。
村上さんよりPDF版を頂きましたのでご紹介します。
少し読みづらい所もありますが、ご容赦下さい。
沖縄復帰50年の特集で、信濃毎日新聞と琉球新報が共同企画で慰霊の日にアンケートを行った結果、長野県民の46%が沖縄の32軍壕を「まったく知らない」と回答し、沖縄県民の63%が松代大本営を「まったく知らない」と回答したそうです。
これからの取り組みで、この割合がどんどん減っていくと思います。私たちの活動もその一環ですね。
(新聞記事がごく一部で、しかも切れてしまっていて申し訳ありません。完全版のデータを頂ければ差し替えます)
沖縄の村上さん(戦跡ネット前共同代表)からの情報です。
首里城の地下に残っている第32軍壕の保存と公開を考える連載は第2部に入り、全国の先進例の取材をしながら、地下壕をどのように、何のために保存し公開すればいいのかを深めようとしています。
記事には松代や日吉も登場します。
村上さんも記者の取材に協力されています。記者の方も戦争遺跡についての理解がどんどん深まるといいですね。
戦争遺跡保存ネットワーク前共同代表の村上さんから情報を頂きました。那覇市に残っている92の地下壕(17年現在)のうち16ヶ所を「危険」と判断し、13ヶ所を埋め戻し、3ヶ所にフェンスを設置したそうです。
琉球新報だからこそ、これだけきちんと記事を書けると思いますが、沖縄ですら戦争遺跡の保存・活用は自治体まかせになっていて、県としての取り組みが弱いそうです。
記事の中で當眞嗣一さんが言われているように、埋め戻すなら「それがどのような壕で、なぜ残せないのか」を説明すべきですし、高知県や横浜市などの行政のように、戦争遺跡も埋蔵文化財保護法の「遺跡」として当たり前に扱い、保存や活用を行政が進めていくことが大切だと思います。
みんなで、そして各地で考え、取り組みを進めましょう。
沖縄の村上有慶さん(前・戦争遺跡保存全国ネットワーク共同代表)からの投稿です。
村上さんは日本平和委員会の平和新聞に「軍隊は住民を守らない」という連載を書いてみえて、その第18号を送って下さいました。
戦争中に軍隊の駐屯を断って一人の戦死者も出さなかった前島と、松の木で偽装大砲を作ったら爆撃されて5人の島人が亡くなった粟国島から、自衛隊の基地配備の進む沖縄の島々を考えられています。
「南西諸島への自衛隊配備は、沖縄戦時の粟国島の偽装大砲ほどの意味しかない」という一言が痛快です。
そして「自衛隊員が来れば、島の人口が増えて、経済も活性化する」という考え方も、鋭く論破されています。
ぜひご一読下さい。
戦争遺跡保存ネットワーク前共同代表の村上さんからの情報です。
沖縄タイムズが首里城の地下に残る第32軍司令部壕のキャンペーンを始めました。
沖縄タイムズは、紙面にもあるように特設サイト「知る32軍壕」も開設して、第32軍司令部壕を3Dで再現しています。
https://www.okinawatimes.co.jp/common/otp/feature/the32nd-army-headquarters-cave/
この特設サイトに対して、川満昭広さん(元・沖縄平和ネットワーク代表世話人)が意見書を提出されました。概要は以下の通りです。
①冒頭の文書(右の画像)について
川満さんは具体的に場所を示され、その部分は「これまでの調査研究や保存運動の事実関係を反映されていない上に、沖縄タイムスのこれまで積み上げてきた、沖縄戦に関するスタンスを変えてしまうもの」と指摘され、検討を求められています。
②壕内のイメージ図について
これまでの第32軍司令部壕の保存運動でかなりの資料ストックがある反面、戦争文化財としての調査がされていないために不明のことも多いことを前提に、過去の蓄積を踏まえて保存運動を、できるだけ早く、そして拙速ではなく展開してほしいと伝えられています。 そして、沖縄の戦争考古学調査はかなりのレベルを持っていることを伝えた上で、「わかりやすいとのキーワードで、今回のイメージ図を公開すると、むしろ文化財という県民並びに国の文化財として指定されていく道を閉ざしてしまう可能性があります」と指摘されています。
③表現について
「牛島司令官は、当初から沖縄戦が住民を巻き込んだ戦闘になることを想定。戦闘前から住民を陣地壕構築などに動員した。首里の司令部壕は、近隣にあった師範学校や県立第一中学校の生徒らが作業を手伝った」という表現に対して、「『手伝った』という表現はあり得ないでしょう。」と指摘されています。
また、「学徒たちが担っていた壕掘り作業を手伝い、泥にまみれて土運びをしていたという話や、芸者や遊女がいたという回想も。留守名簿には『特殊軍属』の名目で動員された女性たちの記載があり、『慰安婦』を指すとの指摘もある」という表現に対して、「『指摘もある』は、記述が間違っている。これは、沖縄県から第32軍壕の説明版問題で沖縄県が改竄したもので、その調査研究した研究者たちは間違っていると抗議した。しかし、沖縄県は受け入れることもなく、現在に至っている。そのことを追認することになり、沖縄タイムスの姿勢が疑われる。」と鋭く指摘されています。
どの指摘もこれからの戦争遺跡保存や発信、そして歴史認識にとても大切なことだと思います。第32軍司令部壕の調査・保存・活用のあり方にこれからも注目し、私たちも発信していきたいです。
沖縄では、消失した首里城再建の動きが順調にすすみ、20年3月には首里城周辺も含む整備計画の全体像が示されました。
首里城の地下には、旧日本軍がつくった沖縄戦の司令部壕が残っていて、総延長は1kmに及ぶと言われています。
司令部壕はこれまで放置されたままで、中には戦争中の遺骨も残っています。ぜひこの機会に学術調査をおこない、平和学習の場として整備・公開し、史跡として保存したいと思います。
戦争遺跡保存全国シンポジウムは、沖縄平和ネットワークとともに署名活動をおこない、知事と教育長に提出しました。