第22回戦争遺跡保存全国シンポジウム 愛知豊川大会

大会テーマ『戦争遺跡の保存活用と次世代への継承』

 -愛知の戦争遺跡の調査・保存運動とその成果ー

 今年の戦争遺跡保存全国シンポは豊川市(愛知)での開催です。

 豊川市には戦争中に豊川海軍工廠が造られました。工廠建設をきっかけに市制がスタートした軍都でもあります。

 1945年8月7日の空襲により多くの犠牲者を出し、壊滅的被害を受けました。

 その追悼と事実の継承が市民によって継続され、1994年には豊川市立桜ケ丘ミュージアムというすばらしい施設もできています。

 海軍工廠跡地の一部は戦後、名古屋大学の実験場となったために現状変更がおこなわれることなく保存され、当時の建物や爆弾穴(クレーター)などが奇跡的に残っています。

 市民の粘り強い保存運動が実り、その一部の3ヘクタールが市によって買い取られ、平和公園として今年の6月9日に開園します。園内には良好な戦争遺跡が残り、情報発信をする豊川市平和交流館も建てられました。

 豊川市民と豊川市のすばらしい取り組みに学び、その成果を全国に広げたいと思います。

 また、戦争遺跡の調査や保存に関わる全国の方から、さまざまな取り組みや課題を学びたいと思います。

 今年の夏は豊川市に集いましょう。

 

8月18日(土)~19日(日) 豊川市勤労福祉会館(愛知県)

18日(土) 全体会(13:00~) 豊川市勤労福祉会館・大研修ホール

 記念講演  伊藤厚史さん「愛知県の戦争記念碑から見た戦争と国民」

 基調報告  出原恵三さん(共同代表 戦争遺跡保存ネットワーク高知)

 地域報告  伊藤泰正さん(豊川海軍工廠跡地保存を進める会) 

         全国からの報告(詳細は後日)

   ※全体会終了後、会員総会分科会打ち合わせをおこないます。

18日(土) 全国交流会(17:30~) 豊川市民プラザ

19日(日) 分科会(9:00~15:00) 豊川市勤労福祉会館

 第1分科会 「保存運動の現状と課題」

 第2分科会 「調査の方法と整備技術」

 第3分科会 「平和博物館と次世代への継承」

19日(日)閉会集会(15:10~16:00) 豊川市勤労福祉会館

20日(月) 見学会(午前中) 

A豊川海軍工廠平和公園と関連施設の見学 豊川市勤労福祉会館9:00発→豊川海軍工廠平和公園と関連施設→豊川市勤労福祉会館11:30着

B渥美半島の戦争遺跡の見学  豊川駅東口8:30発→陸軍伊良湖試射場(試射場門柱、気象観測兼展望塔、無線電信所)→日出の石門・「椰子の実」歌碑→海軍防備衛所(米軍上陸阻止 機雷封鎖事務所)跡→日出監的場跡→豊橋駅13:00着・解散               

会場への交通案内

名鉄「諏訪町」駅(西口)から徒歩5分…右地図を参照

〇豊橋駅から(約30分)

①JR飯田線に乗車→豊川駅下車→(徒歩1分)→名鉄豊川線豊川稲荷駅乗車→諏訪町駅

②名鉄本線新岐阜行(快速特急以外)→国府駅→名鉄豊川線に乗り換え→諏訪町駅

③豊橋鉄道バス6番乗り場(豊川線)→心道教バス停下車→徒歩6分

〇名古屋駅から(約65分)

名鉄本線豊橋行き(快速特急以外)→国府駅→名鉄豊川線に乗り換え→諏訪町駅

〇車なら

東名高速豊川インターから約15分、音羽蒲郡インターから約25分

 

参加費など

参加費     一般2000円(1日参加は1000円) 大学(院)生1000円(1日参加は500円)

全国交流会  5000円

昼食弁当代   800円(19日のみ。お茶つき)

見学会     Aコース 2000円   Bコース 2600円

  ※見学会は定員になり次第締め切ります。どちらも最小催行人数は25人で、定員に達しない時は代金を返金いたします。

 

会場に近い宿舎

〇コンフォートホテル豊川(豊川市諏訪3丁目301 ℡0533-80-5111)    

会場から徒歩8分。8月18日宿泊なら電話で申し込み時に「隣の市民プラザで宴会に出ます」と言えば、宿泊料が高い設定の時でも5200円になります(朝食つき)

〇ビジネス旅館丸進(豊川市諏訪4丁目235 ℡0533-86-3708)    

会場から徒歩1分。

  ※その他、豊川稲荷付近にもあります(車で約15分。名鉄も利用できます)。豊川インターや豊橋駅周辺にも多数あります。

平和のために戦争遺跡の保存と次世代への継承を

第22回戦争遺跡保存全国シンポジウム愛知豊川大会・大会アピールより

豊川市の現地実行委員の皆さん
豊川市の現地実行委員の皆さん

 2018年8月18・19・20日、愛知県豊川市勤労福祉会館を会場に、延べ350名の参加の下で第22回戦争遺跡保存全国シンポジウム愛知豊川大会が開かれました。大会の開催にあたり、ご後援いただいた豊川市・豊川市教育委員会、ならびに報道各社に対し心より感謝申し上げます。

 

 日中戦争が、泥沼の長期戦の様相を呈し始めた1939(昭和14)年、本野ヶ原の雑木林を切り拓き400人の従業員で開廠された豊川海軍工廠は、アジア太平洋戦争の戦局の拡大によってその規模が膨れ上がり、最盛期には5万6千人もの従業員を抱えることになります。東洋一と称されたこの巨大兵器工場は、海軍の航空機や艦船に装備されるあらゆる兵器が生産され、日本の戦争の推進力となりました。一方、海軍工廠を標的にした1945(昭和20)年8月7日の豊川空襲では、県外からの勤労学徒を含む2600名以上が犠牲となっています。このように豊川海軍工廠は戦争における加害と被害の両面を刻んだ貴重な戦争遺跡です。隣接する豊橋市には日中戦争勃発に伴って陸軍第15師団が再編成され、師団司令部庁舎などの関連施設が国の登録文化財・市の指定文化財となっています。さらに遠州灘沿岸には空襲に備えた陣地が多数構築されています。このように東三河地方には多数の戦争遺跡が残されており、未指定の戦争遺跡についても一刻も早い調査・保存・指定が待たれます。こうした中、市民運動として始まった「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」は、20年以上にわたる粘り強い活動を通じて市民や豊川市に対し海軍工廠跡地保存の意義を訴えた結果、豊川市は2011年に調査報告書を刊行し、2018年6月には跡地の一部3haを「豊川海軍工廠平和公園」と名付け平和の尊さを学ぶ史跡として整備・公開しました。こうした豊川市の積極的な取り組み、ならびに敷地を提供された名古屋大学に対し心から敬意を表するものです。

 

 史跡・文化財として指定・登録された戦争遺跡は、2018年8月現在286件を数え、マスメディアも戦争遺跡に注目し大きく取り上げています。全国シンポジウムが初めて開催された1997年にはわずか数件であったことからすると、20年余の間に戦争遺跡保存の意義が広く国民に認められてきたことは明らかです。一方で文化庁の『近代遺跡調査報告書⑨(政治・軍事)』は、沖縄戦に関わる記述をめぐって政府から圧力が加えられたことで、発刊の見通しが立たないままいたずらに13年が経過しています。都道府県や自治体においても文化庁の動向を見極めたうえで対応しようとする姿勢が強くなっています。私たちは文化庁に対し、政治的な圧力を排し、客観的、科学的な内容に基づく報告書を一日も早く刊行することを求めます。また都道府県や各自治体においては、報告書の刊行を待つことなく戦争遺跡の悉皆調査、保存、史跡・文化財指定を進めることを求める物です。敗戦から73年が経過し戦争体験者が急速に減っていくなかで、消滅・改変の危機に瀕している戦争遺跡を保存し、戦争の「語り部」として活用することは急務になっています。

 

 全国的な戦争遺跡保存の状況をめぐっては、いくつかの憂慮すべき事態が進行しています。大分県「宇佐市立平和ミュージアム(仮称)」の展示内容をめぐって戦争における加害・侵略の負の側面を欠落させているとの市民の批判が高まっています。さらには旧日本軍の顕彰を目的とするような「軍事博物館」的な資料館の開設が各地で見られること、人吉海軍航空基地に関わる熊本県錦町での過度な戦跡キャラクター表現や「ひみつ基地」の愛称使用のように、戦争や戦争遺跡を美化したり集客目的に利用する傾向が見られることを危惧するものです。戦争遺跡の保存と活用は、侵略と加害・被害・抵抗などの戦争の実相を次世代に継承し平和の実現に寄与することを目的とするものであり、歴史の真実を歪曲、矮小化する動きに私たちは強く抗議します。

 憲法と平和の危機が現実のものになりつつあるいま、戦争遺跡を保存・活用し次世代に継承しようとする私たちの運動は、こうした危うい動向を押しとどめる力となるものと確信しています。戦争に反対し平和な世界の実現に向けて奮闘するすべての人々と手をつないで私たちの運動を進めることを確認し、大会アピールとします。