いよいよ事務局から会員の皆さまに、会報とともに今年の広島大会のフライヤーや各種申込書が郵送されました。
長年の悲願であった広島での大会。とても楽しみです。
全体会・分科会会場の広島市青少年センターは、原爆ドームのすぐ近くで、広島城にも徒歩圏内です。路面電車の「原爆ドーム前」から歩いて3分という交通至便の会場です。
22日(月)の現地見学会も4コース(旧被服支廠・広島城周辺、呉、太田川上流の中国人強制連行、平和記念公園周辺)準備され、どれも参加したいコースで充実しています。各コースの集合時間や場所、詳しい旅程につきましては、下の大会要項をご覧下さい。
皆さま、ぜひご参加下さい。広島でお会いしましょう。
嬉しいお知らせです。
現地見学Bコースで、呉の広海軍工廠地下工場の中に入れることが確定しました。
参加される方は懐中電灯の用意をお願いします。足元を照らす程度の小さなもので大丈夫だそうです。
また、ヘルメットが必要と思われる方はご持参下さい。現地では準備できませんのでご容赦下さい。
7月中旬以降、新型コロナウィルスの感染拡大が急速に進んでいます。一昨年の東大和大会は中止、昨年は東大和でリモート開催と残念な対応を余儀なくされました。今年はぜひ対面開催を実現すべく、現地実行委員会のみなさんを中心に準備を進めているところです。
大会開催にあたっては、全国交流会、昼食弁当などリスクの高い企画を中止したほか、拡大防止対策に十分配慮して実施いたします。マスク着用、手指消毒など、ご参加のみなさんの感染防止策へのご協力をお願いします。
★この間、コロナ禍への対応についての質問をいただいていますのでお答えします。
【第一分科会】(6)
筑波海軍航空隊記念館 「茨城県最大の戦争遺跡『鹿島海軍航空隊跡地』の未来について」
楠本昭夫 「地図から消された島 大久野島毒ガス工場遺跡保存のとりくみ」
和田千代子 「731部隊の遺跡 世界遺産登録に向けての経緯と現状」
西尾良一 「戦争遺跡としての出雲・日御碕灯台」
出原惠三 「高知県西南部の特攻基地跡―土佐清水市越基地跡を中心に―」
山田譲 「川崎市内の陸軍62部隊の戦争遺跡保存と案内活動」
【第二分科会】(6)
工藤洋三 「下関市蓋井島の白瀬防備衛所について」
平川豊志・春日みわ 「地域に残る(松本)50聯隊の戦争遺跡、射爆場を中心に、地域の戦争遺跡をどう伝えるか」
中田均 「あらたな記録・伝承方法として3次元モデルをためして」
橘尚彦 「旧真田山陸軍墓地 墓碑銘文調査と資料としての活用」
西嶋拓郎・森操・村居一貴 「屯鶴峰地下壕調査報告」
高谷和生 「遥拝遺構を考える」
【第三分科会】(4)
松樹道真 「見学者のためのリーフレット作りとコロナ(松代大本営)」
北原高子・金穂実(キム・スシル) 「迫られるガイド増員(仮題・松代大本営)」
田中剛 「戦争遺跡の教育的活用のあゆみ―日吉台地下壕保存の例から―」
芹沢昇雄 「赦された戦犯たち」
チラシと各種申込用紙のPDF版です。ご利用下さい。(レポート申込、書籍交換会申込は締め切りました)
申込用紙に直接入力されたい方は、下のデータをダウンロードしてご利用下さい。
それぞれをクリックして、出てきた画面の左上にある「ダウンロード」をクリックするとエクセル文書になります。
申込用紙の送付先 taga.s@do2.enjoy.ne.jp またはファックス082-272-6464 です。
念願だった広島での戦跡シンポが、四半世紀を記念する年に実現しました。会場は青少年センター。原爆投下目標だった相生橋や原爆ドームのすぐ近くでの開催でした。
大会テーマは「旧軍都・被爆都市を経て、戦争遺跡保存の原点となった広島から、戦争も核兵器も許さない世界の創造に向けた取り組みを深めよう」。被爆だけでなく、旧軍都としての加害性もきちんととらえた大会でした。
20日の記念講演「ヒロシマの願いを世界へ―平和行政の歩みー」(原田 浩さん)をはじめ、基調報告・地域報告も充実。21日の分科会には16本の報告が出され、コロナに負けず2日間でのべ300名を越える参加者が集いました。23日の現地見学4コースもそれぞれ充実した内容でした。
多賀現地実行委員長をはじめ広島の皆さん、周到な準備と運営をありがとうございました。
「旧軍都・被爆都市を経て、戦争遺跡保存の原点となった広島から
戦争も核兵器も許さない世界の創造に向けた取り組みを深めよう」
2022年8月20・21・22日、広島市の広島市青少年センターを会場に延べ 310人が参加して第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム広島大会が開かれました。1990年代に広島で始まった原爆ドームを世界遺産に登録しようという流れは、国の史跡・文化財の指定基準の改正につながり、アジア太平洋戦争期までの戦争遺跡を史跡・文化財に登録する道を開きました。その意味で広島は戦争遺跡保存の運動にとって原点の一つと言えます。四半世紀、25回目の記念すべき大会を念願の広島で開催できたこと、また3年ぶりに全国から参加者が集う対面でのシンポジウム開催を実現することができたことは、大きな喜びとするところです。厳しい条件の下、広島開催を受け入れていただき大会の成功に向けてご尽力いただいたみなさま、また広島県、中國新聞社をはじめご後援をいただいたみなさま、会場をお貸しくださいました広島市に対し心より感謝申しあげます。
ヒロシマが、被爆都市として戦争と核兵器の非人道性を深く刻み込んだ街であることは言うまでもありません。被爆遺構はそれ自体、原爆の非道さと被害の実相を伝えるきわめて重要な戦争遺跡です。同時に広島は近代日本を代表する「軍都」としての顔を持っています。広島鎮台にはじまり日清戦争での大本営の設置など、広島は常に大陸での戦争をにらんだ出撃拠点、兵站補給基地としての性格を持っていました。アジア太平洋戦争時、市内には60以上にのぼる軍事施設があったとされます。広島市に残る旧軍関連施設は被爆遺跡として、同時に侵略戦争の加害の歴史を伝える戦争遺跡として、二重に重要な役割を果たしています。
4棟が残る旧陸軍被服支廠倉庫は、爆風のすさまじさを伝える世界最大級の被爆建物ですが、当初、県所有の3棟について「1棟外観保存、2棟解体」の方針が示されたのに対し、市民の強い要望を受け県は方針を見直し、重要文化財登録と利活用に向けた検討を始めています。市民の声を真摯に受け止めた広島県の姿勢に敬意を表するものです。他方、広島市サッカースタジアム建設予定地での発掘調査によって、旧陸軍輜重隊関連の被爆遺構が良好な状態で検出されましたが、調査、保存への期待は大きく裏切られ、広島市によって検出された遺構はほとんどが破壊されてしまいました。広島市のホームページでは「被爆建物」は86件とされていますが、地上施設のみならず埋蔵文化財としての被爆遺構・戦争遺跡の保存をどう進めるのか、行政と市民が協同して取り組むべき大きな課題といえます。
史跡・文化財として、国や地方自治体によって指定・登録された戦争遺跡は、2022年8月現在342件が確認されました。全国シンポジウムが初めて開催された1997年には数件の確認にとどまったことからすれば、大きな前進です。マスメディアの注目度も格段に増しています。しかし戦争遺跡の保存をめぐる現状は決して楽観視できるものではありません。文化庁の『近代遺跡調査報告書⑨(政治・軍事)』は、沖縄戦をめぐる記述を口実にした政治的な圧力を受け、予定から十数年以上も経過しながら刊行されない状況が続いています。国の文化財行政が政治的圧力によって歪められるなど、到底許されることではありません。文化庁に対して、報告書の一日も早い刊行を求めます。一方で沖縄県、福岡県、滋賀県をはじめいくつかの県では、県内の戦争遺跡の存在を確認し調査報告書を刊行しています。地方自治体にあっては、国の姿勢にとらわれず、積極的に戦争遺跡調査や史跡・文化財指定を進めることを求めます。
戦争遺跡の改変、消滅の危機は一層増しています。島根県出雲市旧大社基地、沖縄県那覇市首里城地下の沖縄守備軍司令部壕の保存などまさに戦争遺跡保存の課題はまったなしの状況です。同時に戦争遺跡の保存・活用のあり方をめぐって、旧日本軍の顕彰を目的とするような「軍事博物館」的な資料館、加害の側面を覆い隠し戦争を美化する手法などの例が数年来指摘されてきました。世界文化遺産に登録された長崎県端島炭鉱における朝鮮人労働者についての責任ある説明の欠如、韓国での「徴用工裁判」への対応など、日本政府の歴史問題に対する不誠実な姿勢と通ずるものです。今必要なことは、日本がおこなった戦争の加害と侵略の歴史に真摯に向き合うことではないでしょうか。
戦争被爆国として核兵器の禁止・廃絶をめざす国際的潮流の先頭に立つべき日本政府は、「同盟国アメリカ」に迎合して核兵器禁止条約に背を向けています。一方で、ロシアのウクライナ侵攻、中国・台湾をめぐる東アジアの緊張を好機とばかりに「核共有」・「防衛力GDP2%」・「憲法改悪の促進」などを声高に叫ぶ動きが見られます。私たちはこうした主張に対し、広島の地から強く抗議するものです。戦争遺跡が注目をあつめている背景には、戦争体験の風化や戦前回帰を思わせるようなこうした動向に対する市民の危機感があるのではないでしょうか。反核・非戦、平和な世界の実現に向けて奮闘するすべての人々とつながり、戦争遺跡の保存・活用を通じて戦争の真実を次世代に継承していく、私たちの営みに確信を持ち、私たちの運動をさらに前進させることを誓って大会アピールとします。
2022年8月22日 第25回戦争遺跡保存全国シンポジウム 広島大会