10月9日(日)に運営委員会を開催し、来年の戦争遺跡保存全国シンポジウムを神奈川県横須賀市の追浜で開催することを決定しました。現地の昌子(しょうじ)住江さんからも、「次世代の担い手を探す機会にしたい」と力強い言葉を頂きました。
開催日は夏の暑さを考えて、連休の混雑や台風の懸念はありますが、9月16日(土)~18日(月祝)の3連休になりました。横須賀市の後援を頂ける見通しもついてきたそうです。
大会の正式名称は「戦争遺跡保存全国シンポジウム 第26回横須賀おっぱま大会」です。
会場は追浜コミュニティセンターで、追浜駅からも近くて充実した会場です。
なお、追浜にホテルはありませんので、宿泊地は横須賀か横浜になります。横須賀中央から京急で10分、横浜から20分程度です。
第1回現地実行委員会を3月11日に追浜で開催。12時に追浜駅に集合して現地見学。秋の戦跡シンポ会場を下見して、貝山緑地の予科練碑などを見学した後、貝山地下壕へ。地下壕はほぼ完全に残っていて、内部には鉄扉や木製品も残っていて驚きました。カマドも作られていました。
貝山地下壕は丘陵の下部と上部の二階建て構造になっているそうです。間違いなく全国屈指の海軍壕で必見です。
その後、移築された第三海堡の構造物を見学してから、近くのアイクルで第1回実行委員会を開催しました。
実行委員会には現地から9名が参加。横須賀市の職員2名が参加されているのもすばらしかったです。戦跡ネット運営委員は現地参加9名、オンライン参加4名で盛会でした。
大会までの準備や日程について相談しましたが、現地見学は3コース(貝山地下壕・第三海堡、浦賀ドッグなど、三浦半島の本土戦陣地)を計画されていますが、プレツアーとして野島掩体壕も見学できるそうで注目です。
なお、大会参加で横須賀市内に50泊あれば10万円、200泊だと15万円の補助が出るので、できるだけ横須賀市内で宿泊してほしいと現地からの要望がありました。協力したいです。
産業などさまざまな地域資源を活かした「地域まるごと博物館」の活動に倣い、日常の生活圏に戦争遺跡があって戦争と平和について考える機会がある、という姿を展開する中で次世代への継承を実現したいと考えています。次世代への継承は、多くの地域で課題になっており、本大会でも各地の取り組みに学びながら、ご参加の皆様とともにより良い方法を模索したいと思います。
ロシアのウクライナ侵攻に見るように世界では戦火が収まらず、国内では国家安全保障戦略の転換が図られるなど平和について改めて深く考える事案が続いています。海軍航空技術廠で開発された特攻機「桜花」に携わった三木忠直は、戦後、今度こそ戦争のためではなく平和のために技術を使いたいと、新幹線等の安全性の追求に貢献したと伝えられます。
戦争の記憶の継承が、ヒトからモノへと移行しつつある中で、戦争遺跡の保存と継承の重要性が増しています。第26回戦争遺跡保存全国シンポジウム横須賀おっぱま大会では、「新たな戦争遺跡はつくらない」ことを念頭におきながら、戦争遺跡の保存の現状や当面する課題を明らかにしつつ、相互に交流を深め、調査、研究、公開、継承の活動を発展させることができるよう、皆様のご参加を願っています。
戦争遺跡の保存と平和への思いを
地域に根差して継承活動に展開しよう
~ペリー来航の地、近代日本出発点となった横須賀から~
【大会趣旨】
昨年の広島大会に続く第26回戦争遺跡保存全国シンポジウム大会を神奈川県横須賀市で開催します。
横須賀には、幕末に近代化の嚆矢となる横須賀製鉄所が開設されました。それは明治になると横須賀造船所となり、やがて横須賀鎮守府が設置されるとその直轄造船所、さらに横須賀海軍工廠となって海軍の重要拠点となりました。
一方、陸軍が首都東京を防衛するための東京湾要塞の建設を始めると、沿岸部には多くの要塞が築かれました。
横須賀市の北部に位置する追浜(おっぱま)では、明治末に海軍が水上機練習所として海岸を接収、大正初年に初の水上機飛行を成功させると、1916年に横須賀海軍航空隊開設、1932年には海軍航空廠(1939年海軍航空技術廠に改称・改組)が設置されました。1926年には埋立により追浜飛行場(約15万坪)が完成して、海軍航空発祥の地、海軍航空のまちとなりました。なお「予科練(海軍飛行予科練習生)」の始まりも追浜でした(1930年)。
戦後、連合国軍に接収されていた海軍航空隊や海軍航空技術廠の用地は、1950年旧軍港市転換法により主として工業用地となり、現在日産自動車、住友重機等の企業が活動しています。追浜の軍施設は、産業施設や公共施設に転換される中で元の姿を留めるものは少なくなり、市街地の中にあったと言われる地下壕も、その後の宅地開発等で失われていきました。貝山緑地に残る地下壕は、横須賀市内でも唯一市有地に存在する地下壕として許可を得て見学することができましたが、2011年3月東日本大震災以降安全性への懸念から立ち入りが禁止されました。しかし、追浜地域の住民から、重要な歴史遺産として安全を確保したうえでの公開を求める声が上がり、横須賀市による整備工事を経て2021年より見学可能となりました。また、東京湾第三海堡のコンクリート構造物の保存が困難となった際にも、追浜地域から声が上がり、現在の夏島都市緑地に移設されて、地元団体が中心となって保存・公開されています。
しかし、こうした活動には多くの課題があります。追浜では、戦争遺跡が、地域住民の生活圏から離れた場所にあるため、広く認識されているとは言えません。また活動を担う層は高齢化しており、なかなか世代交代が進みません。そこで、自然環境、歴史遺産、地域の
【大会日程】
9月16日(土) プレツアー(野島と掩体壕) 午前中 満席です
9月16日(土) 全体会・講演会(追浜コミュニティセンター北館3階ホール) 13時~16時
記念講演
「地域遺産のまるごと継承 市民が主体のエコミュージアムによるヨコ展開の取り組み」
(横浜国立大学教授 大原一興さん)
基調報告 戦争遺跡保存全国ネットワーク運営委員会(菊池 実さん)
地域報告 元横須賀市教育委員会 野内秀明さん
NPO法人アクションおっぱま副理事長 青木 猛さん
※全体会終了後、戦跡ネット総会(16時10分~)と分科会打ち合わせ。17時半までに終了します。
本年はその後、久しぶりに懇親会(5000円。18時~20時)も再開します。全体会の同じ会場で開催します。
会場では、この日のみ追浜写真展も開催されます。各地の戦争遺跡パネル展も例年通り2日間開催します。
9月17日(日) 分科会(追浜コミュニティセンター各施設) 9時~15時
第一分科会 「保存運動の現状と課題」(2階 第1学習室) 参加者数の関係で会場を変更しました
第二分科会 「調査の方法と保存整備の技術」(4階 集会室) 参加者数の関係で会場を変更しました
第三分科会 「平和博物館と次世代への継承」(2階 第2学習室)
※分科会終了後、閉会集会(15時~16時 4階 集会室) 書籍交換会(10時~14時 3階 音楽室)
9月18日(月) 現地見学会
① 浦賀レンガドックと千代ケ崎砲台 4800円(マイクロバス利用) お申込が最少催行数に満たなかったために中止しました
② 旧海軍地下壕と戦争遺跡見学(貝山地下壕、第三海堡遺構、貝山緑地) 4200円(大型バス利用) 満席です
③ 三浦半島に残る本土戦の遺跡 4900円(大型バス利用) 満席です
参加費
・16日、17日の各日1000円(両日で2000円) ただし、学生・障がいのある方は各日500円(両日で1000円)
・懇親会や現地見学にはそれぞれ別料金が必要です。
主催
戦争遺跡保存全国ネットワーク
第26回戦争遺跡保存ネットワーク全国シンポジウム横須賀追浜大会実行委員会
後援
横須賀市 横須賀市教育委員会 神奈川新聞社 タウンニュース社
一般社団法人横須賀市観光協会 貝山地下壕保存する会 追浜観光協会
おっぱまはっけん倶楽部 追浜連合町内会(予定)
連絡先
NPO法人アクションおっぱま
電話 046-866-2790
〒237-0064 神奈川県横須賀市追浜町2-13
23年9月16日(土)~18日(月)に、横須賀市追浜を会場に開催された第26回戦争遺跡保存全国シンポジウム横須賀おっぱま大会は、のべ300人の参加者で成功しました。
大会を運営して下さった現地実行委員会の皆さん、参加して下さった全国の皆さん、本当にありがとうございました。
京急の追浜駅を降りて、すぐに目を引いたのが、右の横断幕。この横断幕を見ると元気が出ました。
16日午後は、追浜コミュニティセンター北館ホールで全体会。
記念講演「地域遺産のまるごと継承 市民が主体のエコミュージアムによるヨコ展開の取り組み」(大原一興さん)に続き、菊池実さん(共同代表)の基調報告。その後、野内秀明さん(元横須賀市教育委員会)と青木猛さん(NPO法人アクションおっぱま)が地域報告をされました。終了後、会員総会を行い、それから交流会を久しぶりに開催できました。
16日午前のプレ企画は野島掩体壕。全長260m、入り口部の幅20m、高さ7mで、飛行機を中に隠す長大な壕です。横浜市の方が入り口を開けて下さり、内部の一部も見学できました。
全体会会場には、追浜を中心に横須賀の多彩な戦争遺跡などをまとめたパネルを、現地実行委員会が用意され興味深く拝見しました。全国の戦争遺跡パネル展も、戦跡ネット主催で今年も開催できました。
17日は分科会と閉会集会、18日は現地見学を開催。3つの分科会には合わせて17本のレポートが出され、学び合いました。閉会集会では大会アピールとともに、「南あわじ市門崎砲台の保存を求める決議」が承認されました。大会参加者はのべ約300名でした。
「戦争遺跡の保存と平和への思いを地域に根差して継承しよう
~ペリー来航の地、近代日本の出発点となった横須賀から~」
2023年9月16・17・18日、横須賀市の追浜コミュニティーセンターを会場に、延べ 300人が参加して第26回戦争遺跡保存全国シンポジウム横須賀・おっぱま大会が開かれました。開催にあたりご後援をいただいた横須賀市ならびに横須賀市教育委員会、横須賀市観光協会・追浜観光協会のみなさまはじめ、大会の成功にご尽力いただいたみなさまに心より感謝申しあげます。
横須賀は、幕末に開設された横須賀製鉄所が、その後横須賀造船所から横須賀海軍工廠へと拡充され軍艦建造の中心となりました。また横須賀市北部に位置する追浜は、大正から昭和にかけて横須賀海軍航空隊・海軍航空廠(後に海軍航空技術廠)が設置され、1930年には横須賀海軍航空隊に「海軍飛行予科練習生(予科練)」の第一期生が入隊し、追浜は海軍航空発祥の地となりました。一方、陸軍も東京湾要塞群の建設を進め、横須賀から三浦半島にかけて千代ケ崎、猿島、夏島、第三海堡など数多くの砲台や要塞が築かれ、横須賀は東京湾・帝都防衛の最前線に位置付けられました。このように横須賀とその周辺地域は陸・海軍の軍事拠点としてアジア太平洋戦争終結にいたるまで極めて重要な役割をになった結果、数多くの軍事施設が建設されその遺構・遺物が戦争遺跡として存在しています。
追浜地区では海軍航空隊の施設として掘られた貝山地下壕が、住民の要望を受けて横須賀市による整備工事がおこなわれ見学が可能となりました。また東京湾第三海堡のコンクリート構造物も、地域の声を受けて夏島都市緑地に移設され保存・公開されています。すでに東京湾要塞跡が国史跡に、第三海堡遺構が神奈川県重要文化財に指定され、他にも横須賀市民文化資産が独自に指定されるなど、戦争遺跡の保存・公開が進んでいますが、貝山地下壕など未指定の遺跡も多く、さらなる指定の拡大が求められています。私たちは大会を通じ、市民と横須賀市との対話・協働のあり方、地域の歴史・文化・自然などの資産を一体的にとらえ直す「エコミュージアム」の視点などの進んだ取り組みを学びました。地域の戦争遺跡を通じ、戦争と平和を考える機会を次世代に継承することを目的に努力されている、横須賀・おっぱまのみなさんに敬意を表します。
史跡・文化財として、国や地方自治体によって指定・登録された戦争遺跡は、2023年8月末現在365件が確認されています。戦争遺跡についてのマスメディアの報道も急速に増えています。消滅の危機にある戦争遺跡を保存し「語り部」として次世代に継承すべきであるという主張は、マスコミの論調として定着してきたかに見えます。しかし現状はけして楽観視できるものではありません。文化庁の『近代遺跡調査報告書⑨(政治・軍事)』が政治的な圧力で依然として刊行されない状況が続いています。共同通信社の調査と報道(2023.8.16)によれば全国の10道県(沖縄・長崎・宮崎・福岡・高知・鳥取・島根・滋賀・和歌山・北海道)で戦争遺跡についての調査が実施され報告書が刊行されたり、調査を基に独自に県の文化財指定をおこなった例もあります。一方で未実施の理由として32の自治体が「保存について国の指針がない」ことを挙げていますが、報告書を公表しないままの文化庁の姿勢は、こうした「言い訳」を正当化することにつながるものです。文化庁に対して報告書の一日も早い刊行を求めると同時に、地方自治体にあっては国の姿勢に追随することなく、積極的に戦争遺跡調査や史跡・文化財指定を進めることを求めるものです。
この間、島根県出雲市旧大社基地、広島市サッカースタジアム地下被爆遺構が解体・埋戻され、兵庫県南あわじ市門崎砲台跡でも一部切り取り、移設の方針が示されています。沖縄県那覇市首里城地下の沖縄守備軍司令部壕、広島市旧陸軍被服支廠などについては保存・整備の展望が見え始めましたが、戦争遺跡保存について、まったなしの状況に変わりはありません。活用のあり方をめぐって、旧軍の顕彰を目的とするような資料館、加害の側面を覆い隠し戦争を美化する手法などの例が指摘されています。ウクライナでの戦争の長期化、中国・北朝鮮をめぐる東アジアの緊張に名を借りて、核抑止力論、日本の軍事力強化論が声高に主張される現状は「新たな戦前」とたとえられます。こうした状況に抗し、戦争遺跡の保存・活用を通じて戦争の真実を次世代に継承していくこと、「新たな戦争遺跡」を作らないために私たちの営みがあることを再度確認し、私たちの運動をさらに前進させることを誓って大会アピールとします。
2023年9月18日 第26回戦争遺跡保存全国シンポジウム 横須賀・おっぱま大会