17日(土) 全体会・講演会 [KIUホール] 受付 12:00~ 全体会 13:00
記念講演 「近現代考古学と住民参加」
(九州近現代考古学談話会長 武末純一さん)
基調報告 戦争遺跡保存全国ネットワーク運営委員
地域報告 九州国際大学地域づくりコース「三輪ゼミ」
会員総会 [KIUホール]
全国交流会 17:30~ [KIUホール前 学生食堂]
18日(日) 分科会 [2号館各教室] 9:00~15:00 (受付 8:30~)
第1分科会 保存運動の現状と課題
第2分科会 調査の方法と整備技術
第3分科会 平和博物館と次世代への継承
閉会集会 15:00~
19日(月) 現地見学会
半日コース 8:30~12:30(軍艦防波堤・小倉陸軍造兵廠・北九州市平和のまちミュージアム)
1日コース 8:30~15:00(大連航路上屋・火ノ山砲台・駐屯地史料館・北九州市平和のまちミュージアム)
※1日コースで、下関要塞の発掘現場も見学できることになりました。
現地実行委員会がウェブページを開設されました。
参加申し込みから、会場までのアクセスや市内のホテル案内まで、やはた大会のすべてが掲載されていて、とても便利です。
ぜひご覧下さい。アドレスは、 http://yahata.info/index.html です。
大会申し込みと書籍販売申し込みは、現地実行委員会のウェブページからできます。
クリックしてもらえれば、現地実行委員会の申し込みページにリンクします。
〇大会申し込み(下のどちらかをお選び下さい)
グーグルフォーム faxまたは郵送(ダウンロードしてお使い下さい)
〇書籍販売申し込み(ダウンロードしてお記入の上、faxまたは郵送して下さい)
分科会報告申し込みは、このページからダウンロードしてご記入の上、メイルかファクスで戦跡ネット事務局(松代大本営)までお送り下さい。
3月17日(日)に、第27回「戦争遺跡保存全国シンポジウム北九州 やはた大会」の現地実行委員会が、会場になる九州国際大学で開催されました。
現地から6名、運営委員7名が出席。また、運営委員6名がオンラインで参加しました。会議の冒頭に、全体会で報告をされる九州国際大学の学生5名も紹介され、拍手で歓迎しました。
シンポジウムの全体会や分科会などの会場も見学しましたが、とても立派で広く、申し分のない会場です。下の写真をクリックすると、各会場の説明も出ます。
JR八幡駅からも徒歩で10分かからず便利です。
大会の日程は、8月17日(土)の午後に全体会と総会(その後、分科会打ち合わせ)、夕方から全国交流会も行ないます。18日(日)は分科会と閉会集会。19日(月)は現地見学で、半日コースと一日コースが予定されています。
とても楽しみです。
24年8月17日(土)~19日(月)に、九州国際大学を会場に、戦争遺跡保存全国シンポジウム第27回北九州やはた大会を開催しました。三輪仁実行委員長(九州国際大学)、前薗廣幸事務局長(NPO法人北九州市の文化財を守る会)、聞き書きボランティア平野塾の皆さんを中心に、九州国際大学の学生さんたちが活躍して下さり、「実行委員会の平均年齢は間違いなく20代」という声が出るほどでした。3日間の参加者はのべ355人でした。
18日の分科会は、第1分科会(保存運動の現状と課題)に6本、第2分科会(調査の方法と保存整備の技術)に6本、第3分科会(平和博物館と次世代への継承)に5本のレポートが出され、全国の取り組みに学び、各地の交流ができました。
9月2日に、現地実行委員会の前薗事務局長が、北九州やはた大会の報告書を送って下さいました。
大会の様子を写真を添えて詳しくまとめ、大会を報道した新聞記事も網羅されています。
ご許可を頂いて右に掲載しますので、ぜひご覧下さい。
2024年8月17・18・19日、北九州市八幡東区の九州国際大学を会場に、延べ355人が参加して第27回戦争遺跡保存全国シンポジウム北九州やはた大会が開かれました。開催にあたり、会場のご提供をいただいた九州国際大学はもとより、ご後援をいただいた北九州市、北九州市教育委員会、福岡県教育委員会、地元各メディアのみなさまに心より感謝申しあげます。
旧八幡市(現在の北九州市八幡東区・八幡西区)では、1901(明治34)年に官営八幡製鐵所が操業を開始し、恵まれた立地を生かして第二次世界大戦前には日本の鉄鋼生産量の過半を製造する国内随一の製鉄所に成長し、鋼板類や兵器材料となる特殊鋼などを製造して日本陸海軍の軍備拡張と戦争を支える基盤となりました。1944(昭和19)年6月15日、中国成都から出撃した米軍のB-29が日本初空襲となる八幡空襲を行ない、さらに敗戦間近の45(昭和20)年8月8日には市街地に向けた無差別爆撃により、2,500人余の死傷者と約14,000戸の焼失という惨事をもたらしました。八幡空襲の教訓は、「燃えない都市」造り、「平和の女神像」を中心とする景観整備など、戦後の復興の中で生かされてきました。2022(令和4)年4月には北九州市によって「北九州市平和のまちミュージアム」がオープンし、戦争の悲惨さ、命の尊さを考える拠点となっています。
北九州市内には、田向山(たむけやま)砲台など関門海峡防備のための下関要塞の施設、石峰山部隊の高射砲陣地など数多くの戦争遺跡が良好な状態で現存しています。また小倉南区の陸上自衛隊曽根訓練所には、戦争中に毒ガス弾の製造がおこなわれた施設が残されており本格的な調査が待たれています。福岡県教育委員会は独自に県内戦争遺跡の「悉皆調査」をおこない、2020(令和2)年に報告書『福岡県の戦争遺跡』を刊行しました。そこには遺跡等624件、慰霊碑等1,025件、総数1,649件が一覧表として掲載され、詳細な図版も付けられています。「県内の戦争遺跡の適切な保護の推進」を図り「戦争の記憶・記録を次代に継承していく」(報告書序文から)ことを目的としたこの報告書の刊行は、私たちにとって大きな財産となるものであり福岡県教育委員会の進んだ取り組みに敬意を表します。しかしこれだけ多くの戦争遺跡が存在する福岡県にあっても、文化財・史跡に指定された戦争遺跡は私たちの調査ではわずか6件(国2件・県1件・市町村3件)にとどまり、北九州市内には1件もないのが現状です。戦争遺跡の改変、消滅の危機は急速に進んでいます。悉皆調査の成果をもとに、できるところから史跡・文化財への指定を進めるよう、福岡県・北九州市に強く要望するものです。
指定・登録された戦争遺跡は、全国で2024年8月現在386件が確認されています。戦後80年を前に戦争遺跡を取り上げるマスメディアも増え、戦争遺跡を「語り部」として保存し活用することの必要性は国民のあいだに定着してきたと言えます。広島にある旧陸軍被服支廠が国の重要文化財に指定され、那覇市の32軍司令部壕の整備・保存に向けた調査が進むなど、市民の声と運動が行政を動かしています。他方で島根県の旧大社基地、広島の輜重隊(しちょうたい)地下被爆遺構、兵庫県南あわじ市門﨑(とざき)砲台など貴重な戦争遺跡の解体が急速に進んでおり、戦争遺跡保存はまったなしの状況に変わりはありません。文化庁の『近代遺跡調査報告書⑨(政治・軍事)』は刊行されないまま20年近くが経過しています。こうした文化庁の姿勢は大きな問題ですが、地方自治体にあっては国の動向に左右されることなく積極的に戦争遺跡調査をおこない、史跡・文化財への指定と活用を進めることを求めます。
ウクライナ、パレスティナで繰り返される殺りく。日本では、軍事予算の拡大、南西諸島の軍事力増強、日米軍事同盟の更なる緊密化など、「新たな戦前」といわれる状況が生まれています。「群馬の森」における朝鮮人追悼碑は、加害の事実に蓋をしようとする人たちの声に押されて強制撤去されました。旧軍を顕彰し美化する傾向も強くなっています。こうした状況に抗し、「新たな戦争遺跡」を作らないこと、「加害」を含め戦争の真実と平和への想いを次世代に継承していくことが、私たちの運動の目的であることを確認し、この運動をさらに前進させることを誓って大会アピールとします。
2024年8月19日 第27回戦争遺跡保存全国シンポジウム 北九州やはた大会